フォードアイランドにおけるアメリア・イアハートの航空事故-1937年3月20日 ~Part3~

3人の乗組員?

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映画を見た人は「3人の乗組員?」と疑問に思うことでしょう。映画では物事を簡潔に描写する為、事故当時イアハートはフレッド・ヌーナンと二人で飛行機に乗り込んだことになっていました。しかし実際には、航空士のキャプテン・ハリー・マニングも一緒に乗っていました。オークランドからハワイに向かう最初の行程では、4人目の乗組員である技術アドバイザーのポール・マンツも搭乗していました。4人は3月18日午前5時45分に到着し、3人の乗組員は休息の為ホノルルへ向かい、マンツは航空機の整備を行いました。

次の挑戦計画のためカリフォルニアに戻ることになったマロロ

なぜルークフィールドなのか?

なぜイアハートはルークフィールド(現在太平洋航空博物館パールハーバーが位置する場所)から離陸したのか?確かに、ウィーラー・エアフォース基地の方が遥かに広く設備も整っており、実際に3月18日に4人の乗組員が降り立ったのはウィーラー基地でした。機体の重要な整備はウィーラーで行われましたが、整備の最終段階でマンツはフォードアイランドにあるルークフィールドに飛行しなければなりませんでした。マンツはウィーラー基地よりも平坦さに定評のあるルークフィールドに興味を持っていました。するとルークフィールドは評判通りの滑走路だったので、イアハートはルークフィールドからの離陸を試みることになりました。ところで、イアハートの航空事故時の滑走路はルークフィールドでしたが、1941年12月7日に起こった日本軍の攻撃時には既に名称が変わっていました。1939年11月にアメリカ陸軍航空隊の代表団がフォードアイランドからヒッカム空軍基地に移った時、ルークという名称をアリゾナ(フランク・ルーク・ジュニアの出身地)に出来た新しい空軍基地で使用できる様、返上しました。

2018年3月28日更新